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2024.08.13

歌人たちの憧れの地・須磨に伝わる『源氏物語』ゆかりの地を辿る

歌人たちの憧れの地・須磨に伝わる『源氏物語』ゆかりの地を辿る

古くからさまざまな歴史の舞台となり、万葉の時代からたびたび和歌や文学にも登場してきた須磨。


源平合戦「一ノ谷の戦い」の戦場となったことは有名なお話ですが、現在放送中のNHK大河ドラマにも登場する『源氏物語』の舞台の一つとなったことはご存じでしょうか?


フィクション作品でありながら、モデルとなった須磨界隈には、いまでも多くの関連史跡が残っており、『源氏物語』が後世に与えた影響の強さを感じることができます。


今回はそんな源氏物語の世界に思いを馳せ、須磨の歴史ガイド歴30年以上、須磨歴史倶楽部の西海淳二さんに、須磨にある源氏物語ゆかりの地をご案内いただきました。


須磨歴史倶楽部ガイドの西海さん


歌人・文人の憧れの地 須磨

現在の風光明媚な雰囲気とは異なり、平安時代の須磨は、小さな漁村だったと言われています。


しかし、須磨は『万葉集』や『古今集』の和歌でも度々詠まれるほどで、京の都に住む貴族たちにとって、行ったことはなくても、どこか想像しやすく、親しみがある田舎町と考えられていたようです。


光源氏の人物像のヒントにもなったといわれる在原行平ありわらのゆきひらは、蟄居ちっきょのために須磨に住んだ数少ない貴族の1人。


そんな在原行平の和歌の影響もあったのか、須磨は源氏物語の舞台の一つとなったことで、その名はさらに広く知れ渡り、後世の文人・歌人が一度は訪れてみたいと思う憧れの地となったのです。

海から山へ広がる須磨の街並み


『源氏物語 須磨の巻』ってどんなお話?

平安時代に紫式部が執筆した長編物語『源氏物語』の一編で、主人公・光源氏が籠居ろうきょのために自ら都を離れ、やってきたのが須磨でした。


初めて見る海や、初めて経験する暴風雨に嘆き、都での華やかな生活を懐かしく思う光源氏の心情が描かれています。


ここで注目すべきところは、筆者である紫式部自身も、海を見たことがないにもかかわらず、過去の歌人が詠んだ歌と自身の想像力だけで、漁村・須磨での暮らしや情景を生き生きと描いているという点です。


そんな前提で作品を読み、実際に須磨を訪れると、また違った視点で作品を楽しむことができるかもしれません。


光源氏が植えた若木の桜が残る「須磨寺」

はじめに西海さんと訪れたのは、山陽電鉄「須磨寺駅」より徒歩約7分のところにある「大本山 須磨寺」。


須磨寺といえば、源平合戦ゆかりの古刹として知られていますが、実はここに光源氏が植えたと伝わる「若木の桜」があるのです。

桜の紋章が目を引く須磨寺・仁王門

若木の桜:この一帯は土壌が悪く、桜の木を植えても大きくは育たず、何度も植えなおす必要があるため、若木の桜と呼ばれているのだとか

この若木の桜は、光源氏が須磨に籠居してきたころに植樹し、次の春に花を咲かせるという場面で登場するもの。


光源氏による植樹というストーリーは伝説とはいえ、1184年「一ノ谷の戦い」の前後で、弁慶が「一枝伐らば、一指剪るべし(この桜の木の枝を1本折ったものは、指を1本折れ)」と言い、制札を立てたといわれるほど、とても大事にされてきたんだそう。


そんな若木の桜は参道左手にある「源平の庭」の前で、弁慶直筆との伝承がある制札は宝物館で見ることができます。

宝物館は無料で見学できる

Information須磨寺(上野山福祥寺)
住所 神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
アクセス 山陽電車「須磨寺駅」より徒歩7分、JR「須磨駅」より徒歩12分
電話番号 078-731-0416
拝観料 無料
公式サイト https://www.sumadera.or.jp/

光源氏の住居跡とも伝わる「現光寺」

次に向かったのは、須磨寺から南に約7分の場所にある「現光寺」です。


本堂を縁取るような立派な松の木が印象的な現光寺は、須磨の巻で登場する光源氏の住まいに関する描写と、この場所が似ていることから『源氏物語 須磨の巻』ゆかりの地とされているお寺。

「海からはそう近くないが、波の音が聞こえ、木々を揺らす風の音も聞こえる、小高い山の多い場所」という表現に合うといわれている

煌びやかな本堂には「一ノ谷の戦い」出陣の際に、源義経が叩いたとされる陣太鼓も

ゆかりの地とだけあって、本堂の奥には源氏物語絵巻の模写と、江戸時代に流行した「源氏香遊び」の図が描かれた襖があり、見応え十分。


どなたでも内部見学は可能ですが、お寺の方が不在の場合もあるため、内部見学を希望する場合は、事前に電話でのお問い合わせをおすすめします。

須磨の巻を表す「源氏香遊び」の図を探してみて

また現光寺の境内には、松尾芭蕉や正岡子規の句碑が点在しており、須磨が後世の文人たちの憧れの地になったことを物語っています。


日清戦争のあと神戸で療養期間を過ごし、須磨で67句を詠んだ正岡子規の句碑も、ここで見ることができますよ。

「源氏物語を読んでいるのを中断して、空を見上げると月が出ていた、今まさに須磨の巻を読んでいるところである」という句

Information藩架山 現光寺
住所 神戸市須磨区須磨寺町1丁目1-6
アクセス 山陽電車「須磨寺駅」より徒歩3分、JR「須磨駅」より徒歩10分
電話番号 078-731-9090
拝観料 無料

光源氏がお祓いをした場所「関守稲荷神社」

現光寺から住宅街を5分ほど歩いて到着したのは「関守稲荷神社」。


細い路地に佇むこちらは、小さいながらも神秘的な雰囲気を纏い、須磨の関の守護神として祀られたと伝わる神社です。

江戸時代に編纂され、当時ガイドブックのような存在だった『摂津名所図会』では、この辺りで光源氏が巴の日祓いをしたとも紹介されています。

百人一首で有名な源兼昌の句碑も

Information関守稲荷神社
住所 神戸市須磨区関守町1丁目3-20
アクセス 山陽電車「須磨寺駅」より徒歩6分、JR「須磨駅」より徒歩11分
見学 無料

光源氏が見た海「須磨海岸」

歴史散歩の最後に訪れたのは、関西屈指の海水浴場としても有名な須磨海岸。


『源氏物語 須磨の巻』の中では、登場人物である明石入道が光源氏を迎えに船でやってきたり、暴風雨で荒れる海を見た光源氏が都を恋しく想ったり、なにかと海辺での出来事が描かれています。


昔の人も須磨のこの海を見ていたのかと想像するだけで、ロマンを感じられるかもしれません。

実際、須磨の巻で光源氏のヒントになったとされる在原行平は、この海岸で松風・村雨まつかぜ・むらさめ姉妹と出会い、そして別れたといわれています。


姉妹が京に戻った在原行平への思いをのせて「私たちの気持ちが京に向くように、海岸の松の木も京の方向に傾いている」と言ったというエピソードもあるのだとか。たしかに、松の木が東向きにねじれて立っているような…?皆さんも須磨海岸にお出かけの際は、ぜひチェックしてみてくださいね。

Information須磨海岸
住所 神戸市須磨区須磨浦通2丁目4
アクセス JR「須磨海浜公園駅」より徒歩10分

旅の締めくくりに、西海さんに須磨でガイド活動を続ける、その思いについて聞いてみました。


西海さん:須磨の魅力を、地元の人に、そして神戸を訪れる市外の人に深く知ってもらいたいという思いで、ガイド活動を行ってきました。かつて文人たちの憧れの地となり、また、源平合戦のような歴史的な出来事があったという事実を大切にし、先人たちが生きてきた証を繋いでいきたい。歴史をもって、現代にもこの町の魅力を伝えていくことができると考えています。


現在も精力的に活動を続ける、西海さんの熱い志を感じます。須磨の町や歴史に興味が湧いたという方は、ガイド同行で巡ってみてはいかがでしょうか。

Information須磨歴史俱楽部 西海淳二さん
電話番号 090-4302-8985
E-mail sumanorekishihanishiumi(アット)yahoo.co.jp

歴史と伝統が息づく須磨

何気なく歩くだけでは気づかないことも多いものですが、須磨の町中には、その歴史の深さを感じさせる名所や句碑が多く残っています。


また、月の名所と謳われた須磨には、月見山という地名が残り、現在でも須磨離宮公園では、毎年「月見の宴」というイベントが行われています。


源氏物語をきっかけに須磨に興味を持ったという方には、現光寺で毎年10月に行われる源氏物語朗読会もおすすめ。平安時代に思いを巡らせ、須磨の新たな側面を発見する、そんな素敵な楽しみ方もできるのではないでしょうか。

【取材・文】神戸観光局・観光部 松成
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